被害管理の目の前とその先

 野生生物管理はどのように解釈されようと、最終的にはヒトのために行われます。特に野生生物による農業被害の管理では、”ヒトの収穫”という目的が明確にあります。「被害が減った」「動物にイライラしなくなった」という人の声がゴールであり原動力となる場合が多いです。
 それゆえに、盲目的になってしまうことがあります。

 先日、被害管理に関するモデル形成でお世話になっていた自治会の会長さんが亡くなりました。学校の先生をしていた方で、こちらも多くのことを教えて頂きました。この方がいらっしゃらなかったら関係構築もうまくは進んでいなかったかも知れません。会長と一緒に笑顔しか見せたことのなかった奥さんが葬式で顔をくしゃくしゃにしているのを見て、何とも言えない無力感を感じてしまいました。

  被害管理とは、集落の生活の中でそんなに重要な事柄なのだろうか?
  今の集落で被害管理を進めて、その先にどんな未来があるのだろうか?
  そもそも、10年後20年後、いま守るべき田畑に人影があるのだろうか?

 分かってはいたつもりなのですが、現場に出ているうちに、創造しておくべき未来の形を置き去りにして目の前の笑顔を目的にしてしまっていた自分に気付きました。

 営農は産業であり、経済活動です。
 本当の意味で被害管理を進めるのであれば、経営規模が大きな成り立った農家を対象とした管理や、新しく参入する若い世代を狙ったプログラムを用意する方が効果を望めるでしょう。いま見られる農業被害管理では、経済的な効果ではなく、過疎地の生活支援としての効果しか期待できないものがほとんどです。

 さて、限界を迎える途方もない数の集落で、現在の被害管理の先にどのようなゴールが設定できるのか…。あるいは社会が向かうゴールをいくつか想定するとして、そこに近づけられる被害管理の形とはどのようなものなのか…。
 会長が亡くなったのが急な話だったので私はかなりショックを受けて悩んでいたのですが、副自治会長が葬式の席で私を現実に引き戻す耳打ちをしてきました。
「昨日もイノシシ出たよ。柵の内側。」

食害を受けた自治会長さんの畑のカブ。 おそらくシカによるもの。
 ヒトがどんな状況でも、
 野生生物は待ってはくれない。
 どんな構想があっても、
 今の被害を放っておくことはできない。

 しかし”現在の目の前”の中で闇雲にあがくのではなく、ヒトの世代交代や変化を含めた野生生物の移り変わりを見据え、より遠い未来を軸にして行動を起こせるよう、常に考え、尽力していこうと思っています。