イノシシにおける豚コレラ

行政に野生動物を管理する専門の部署が無いと何が起こるのか?

最近大きな影響を生じさせている豚コレラの問題を例として見てみましょう。

管理の流れに沿って説明します。

【事前に必要な知識】

豚コレラに関連して最低限必要な情報を列挙してみましょう。

これらの情報は、施策の設計や評価の際に考慮すべきものです。

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① イノシシの性質

地域や年によって変動しますが、イノシシは概ね1月から3月の間が交尾期で、概ね4月から5月の間に出産します。

これも地域や年によって変動しますが、生まれる子供は平均して4~5頭程度です。

イノシシは大型哺乳類の中ではライフサイクルが短く、数年で構成個体がほぼ一新されます。

冬眠はせず、成獣ではエネルギーの要求量が多い冬季に死ぬ個体が多いと考えられています。

雑食性で地表や地中の様々なものをエサとし、警戒心が強いために安全を確認できる比較的狭い範囲を徘徊するような探餌行動が多く見られます。

休息も安全を確認できる場所で行われやすいため、かなり狭い範囲に集中するような行動圏を持ちます(兵庫での例:モノグラフ第六弾4章)。

豚コレラに関連するその他の行動としては「泥浴び」があります。

泥浴びは、複数の個体や群れが共有するヌタ場と呼ばれる特定の水場で夏場に多く行われます。

② 豚コレラの性質

豚コレラに国内で感染するのは、ほぼイノシシと豚のみです。

イノシシ、豚のどちらにおいても鼻汁、糞、血液、筋肉とほぼ全身にウイルスが検出されます。

養豚では死亡した豚が除去されますが、野生のイノシシでは死体そのものが環境中に残るため、これが大きな感染源となります。

イノシシはイノシシの死体も食べるからです。

死体以外では母子間の伝播、交尾やオス同士のケンカ等に伴う直接接触による伝播、ヌタ場やエサ場等の特定の環境の共有による間接的な伝播等の可能性が考えられます。

イノシシ-イノシシ間の伝播では、イノシシ-豚間の伝播よりも中型哺乳類・カラス・ハエ等を介した感染が発生する可能性は低いと考えられます。

養豚場は豚用の飼料や糞の集積によってこれらの生物を呼び寄せる性質があるため、自然環境中で死亡したイノシシに接した生物が豚に接するような場面がイノシシよりも多く起こると考えられるからです。

ウイルスは温度によって残存期間が異なります。

例えば筋肉中において冷凍では4年以上、チルド状態では85日、37℃では7~15日程度というように変化し(農研機構 動物衛生研究部門HP)、気温の低い冬季ほど環境に残存する期間が延びます。

豚では数日の潜伏期間の後に急性~慢性あるいは回復するものなど様々で、イノシシもこれに似た経過を経るものと考えられます。

イノシシは探餌行動のために多くのエネルギーが必要で、生息密度(飼育密度)や環境も異なるため、経過の速さ、死亡率、潜伏期間、症状等が豚と異なる可能性があります。

③ 流行と終息

流行はイノシシの個体群密度が高いほど速く起こり、低いほど緩やかになります。

感染範囲が狭いほど終息しやすく、広いほど長期間流行が続きます。

冬季は交尾、積雪、狩猟等によってイノシシが大きく移動する場合があるため、感染範囲の拡大が突如として起こる可能性があります。

交尾期や積雪期を除いた時期での感染範囲拡大のイメージとしては、感染個体が大きく移動する過程でウイルスを次々と落としていくというよりは、隣から隣へと感染のドミノが発生する形のほうが現実に近いと考えられます。

豚コレラのウイルスに感染したイノシシの多くは感染から1~2か月程度の間に死亡すると考えられますが、回復した個体は免疫を持ちます。

イノシシは豚に比べて圧倒的に低密度な環境で生活しているため、ウイルスの伝播は豚舎よりは緩慢に時間をかけて広がっていきます。

感染イノシシの近隣に豚コレラに対して免疫を持たないイノシシが「感染から死亡あるいは回復までの1~2か月程度+死体等に残存するウイルスが失活する期間」存在しなければ、そこで感染のドミノが止まる計算になります。

④ 野生動物に起こる問題の特殊性

野生動物の問題は極めて特殊である、という認識がとても重要です。

家畜の豚と比較してみましょう。

イノシシは豚に比べて圧倒的に“謎”の多い生物になります。

例えば「個体数」「年齢構成」「性別構成」「個体群密度」「行動範囲」「食物」「死因」「産子数」等々は、豚では各農場で把握できるものですが、イノシシは各地域、季節、年度で変動し正確には分かりません。

採餌・繁殖・移動と行動の全ての部分で豚よりも自由度が圧倒的に大きいのです。

加えてイノシシはデータを常に集めている飼養者がいない存在であるため、データを集めようとしても非現実的なコストがかかる場合や、不可能である場合が多くあります。

野生のイノシシは単一の環境で飼育される豚とは異なり、環境の変化や季節的な変化、あるいは学習によって行動を大きく変化させることがあります。

野生動物の調査は多かれ少なかれ調査対象に影響を与えてしまう性質があるため、調査の前後でイノシシの行動が変化することもあります。

つまりそもそも「正確なデータがそろわない」「最新のデータがそろわない」ことを前提とし、相手が変化を続けていくことを予測しながら対応することになります。

野生動物を相手にする場合、現在のデータや予測に誤りが含まれていることを想定しながら、施策を準備・運用する期間に起こる変化に対応できる幅を持った計画が必要とされるのです。

この部分に求められる想像力や構想力は極めて高度なもので、残念ながら専門の知識経験の無い人が対応できるものではありません。

 

 

【適切な目的の設定】

豚コレラに関してイノシシ管理におけるゴールを設定する場合、実はいくつかの選択肢があります。

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① 目的の種類

目的の一つには「豚コレラに感染したイノシシの完全な排除」が挙げられます。

それ以外にあるのか?という疑問が湧くかも知れませんが、例えば豚コレラウイルスの養豚場への侵入を問題の中心に据えた場合、「豚コレラに感染したイノシシと豚との隔離」というゴールも想定できます。

あるいはさらにレベルを下げれば、「豚コレラに対して免疫を持たないイノシシと豚との隔離(つまり免疫を持ったイノシシは許容する)」というゴールもあり得るかも知れません。

具体的に「何が問題の中心で防ぎたい事柄か」に注目することが重要です。

これらの目的設定は、モニタリングや個別の対策手法の運用方法に大きく影響します。

言い換えれば、想定されるゴールごとにモニタリングと対策手法の運用を考えることになります。

② 現実的には?

野生動物の間である程度広がってしまった感染症においては「感染個体の完全な排除」は実現が非常に困難なゴールです。

膨大な予算、数十年にわたる期間、偶然の自然条件等がそろわなければ達成できないものだと覚悟すべきものでしょう。

家畜やペットのように人の管理下にあって簡単にコントロールでき、明確なデータを基に即時的な対策を講じられる対象ではないからです。

過去には豚への豚コレラワクチンの接種によって国内の清浄化が達成され、イノシシからも豚コレラウイルスが検出されなくなりましたが、これはイノシシへ何か特別な対策を打ったわけではなく自然のなりゆきに任せた全くの偶然の結果です。

現在は当時に比べてイノシシの生息密度が圧倒的に高く分布域も広がっており(環境省データ)、何よりイノシシの生息に適した山林が過去よりも拡大しています。

感染個体の完全な排除は、例えば「豚コレラウイルスがイノシシに蔓延した結果として、イノシシの個体数が激減する、あるいは抗体を持つ個体の割合が非常に高くなる」ような状況になって初めて可能性が出てくるものだと考えるべきでしょう。

過去の清浄化の際も、自然環境中のイノシシにそのような状況が生じていた可能性があります。

現時点で推奨されるのは、「豚コレラに感染したイノシシと豚との隔離」ではないかと思います。

「イノシシの間での感染拡大の抑制」は「感染イノシシと豚との隔離」という目的の下で使われる手法の一つです。

「イノシシの豚コレラ感染地域を狭い範囲に封じ込めるように動くが、それが不可能であった場合や、既にイノシシの間にウイルスが入っている地域ではイノシシと豚との隔離を目指す」ということです。

当たり前に聞こえるのですが、現状では実はゴールの設定が曖昧なままです。

そのためにモニタリングや対策の運用の部分にも混乱が見られます。

 

 

【適切なモニタリング】

モニタリングは、管理目的に応じて「知りたい情報」を基に計画される調査のことです。

「知りたい情報」というのは単純な興味という意味ではなく、「施策に直接反映できる情報」「施策の要・不要を判断できる情報」であることがとても重要です。

野生動物を相手にした場合、「知ろうとしても正確には分からない情報」や「知った所で使い道のない情報」が非常に多く存在するからです。

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① 分からない・使い道のない情報って?

例えば「イノシシの個体数」を詳細に調べるべきか、考えてみましょう。

イノシシの個体数は正確な予測が難しく、数理モデルを使った推定では上下に数倍以上の幅を持った予測値などで示されます。

個体数は移出入、繁殖、自然死等により1か月程度でも大きく変動する可能性を持つものです。

毎年、繁殖期の前後でイノシシの個体数は2倍程度も違ってきます。

管理目的によっては個体数が分かったとしても手法選択等に変化が生じず、使いたいデータであっても精度が精度であるために実質使えない情報となるのです。

例えば「イノシシと豚との隔離」を目的とする場合は、個体数に関係無く柵を設置するべきでしょう。

「特定エリアのイノシシ個体数の抑制」をテーマとする場合でも、推定された個体数の値があまりに不安定であるため、結局まずは用意できる最大限の捕獲圧をかけてみて反応を見ることになります。

実は、捕獲したイノシシの雌雄や年齢及び捕獲した時期等によって捕獲のインパクト及びその後の個体数の挙動が大きく変化するため、予測はその使い道を考えれば考えるほど複雑になり精度も怪しくなってきます。

「何頭いるんだ」と聞きたがる人はとても多いのですが、多くの場面で個体数は「知ろうとしても正確には分からない情報」で「知った所で使い道のない情報」なのです。

重要なのは「対策の設計とアレンジ」に使える情報です。

② 集めるべき情報

何が重要かと言えば、例えばまずは「イノシシの感染範囲」です。

しかしこの部分も当然、野生動物特有の課題を抱えています。

イノシシが感染してから死亡し、死体が発見され、検査結果が判明するまでは1か月程度の期間があります。

捕獲も同様で、感染が山系にじわじわと広がり感染イノシシが罠にかかるまでには大きなタイムラグがありますし、捕獲という結果を得るまでの期間に大きなばらつきがあります。

このため基本的に「感染イノシシが1頭でも見つかった地域は全てクロ」と判断し、イノシシが移動可能な山林等でつながった範囲、場合によってはその隣接地域まで封じ込めの対象とすることになります。

国内には多くのイノシシが生息しており、そのほとんどは豚コレラに対して免疫を持っていません。

イノシシが自由に移動できる山系に一度ウイルスが入ってしまえば感染の連鎖が止まるとは考えにくく、「感染個体は見つかったイノシシだけかも…」などというのはあまりに希望的で無責任な予測です。

感染範囲の予測は、少なくともイノシシが大きな障壁なく移動できる範囲とみなすべきです。

そして当然それも時間の経過に伴って越えられる可能性が生じます。

野生動物の管理に関しては物理的な障壁や対象種の行動範囲等を基に地理的区分を設定すべきで、直線距離のような数値は特に山地のイノシシを相手にして用いるべきではありません。

③ リスキーな調査手法

現在は調査と称してイノシシの捕獲が行われていますが、これは一番危険な選択肢です。

現状の捕獲は「何を知る調査か」が曖昧で、とりあえず何かやらなくてはとパニック的に手を出したもののように見えます。

野生動物の問題が発生した際、捕獲というのは様々な調査・対策の中でも格段に副作用が大きく、間違いが多く起こる手法です。

病気の治療でいえば「手術」にあたります。

お腹が痛いと来院した人に検査も無くとりあえず手術やりましょうと言う医師はいないと思います。

実際、調査捕獲に関わった人が運営するイノシシ飼育場で豚コレラが発生しており(第3回拡大豚コレラ疫学調査チーム検討会:岐阜県4例目)、調査捕獲がイノシシ由来の豚コレラウイルスの人為的な拡散を引き起こしている事が強く疑われます

養豚場での豚コレラの発生時は豚が全頭殺処分されますが、その際は機材・装備・人員に至るまで、徹底的な準備と対策の上で計画通りに実施されます。

人為的なウイルス拡散の可能性が同レベルに高いイノシシの捕獲においてもそれに準ずるような管理が必要になりますが、すべての捕獲に目が届くわけもなく、実際には計画も運用も徹底が難しいでしょう。

感染農場での殺処分は大きな作業なのですが、1か所で行われるため実は封じ込めが比較的容易なのです。

しかし捕獲の場合はそれと異なり、個々の捕獲が独立しているために同時多発的にウイルス拡散の可能性を持つイベントが生じる性質を持っています。

「感染状況が知りたい」という動機から考えてみても、先述の通りそもそも「感染イノシシが1頭でも見つかった地域は全てクロ」と判断すべきものであり、実際には捕獲個体より先に死体のほうで感染個体が見つかりウイルスの侵入が把握されている状況ですので、捕獲から得られた結果は「知った所で使い道のない情報」になります。

感染の範囲が知りたければ、見つかった死体の検査に絞るべきでしょう。

捕獲を調査に使うのはあまりにリスクが大きすぎるのです。

手始めにとる手法としては、例えば「感染範囲外の養豚場周囲のイノシシの生息状況の確認」の上での高リスク農場のリストアップのような、副作用(人為的な拡散リスク)が少なく、今後の施策の設計に利用できるものが候補になるはずです。

 

 

【適切な管理手法】

各管理手法は目的に応じて運用方法が異なります。

今回は「豚コレラに感染したイノシシと豚との隔離」をゴールとし、「感染拡大の抑制」をその一部とする計画で各手法を簡単に考えてみます。

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① 柵の設置

「感染範囲の拡大阻止」を目的として柵を設置する場合、農作物被害の防除における柵の設置とは異なった視点が必要になります。

その視点は「イノシシの空白地域を隣接させること」です。

柵をまたいだイノシシの移動がなくても、隣の地域のイノシシと接するような環境では豚コレラの感染が容易に成立しえます。

野生動物では、柵を含む物理的障壁に沿ったような移動が頻繁に見られます。

柵の周辺で感染個体が糞をしたり、柵を鼻で触ったりすれば、隣の地域のイノシシにウイルスが簡単に侵入してしまいます。

一度ウイルスが侵入すればその先で感染個体が爆発的に増えますから、例えば山中に1重で柵を設置するような対策は、感染拡大を阻止する観点ではほぼ無意味です。

感染拡大の阻止を目的として柵を設置する場合は、市街地・農耕地・大きな河川のようなイノシシが生息していないバッファー地域を挟んで両側に柵を設置するような形を目指すことになります。

山中に柵を設置する場合は、現実的にはかなり難しいのですが、2重か3重にして柵に挟まれた内側で捕獲や追い払いをしたり、ヤブや林を伐採したり、経口ワクチンを設置する等して、ウイルスに感染するものがいないエリアを作出する必要があります。

山中に設置する2重3重の柵の間隔は、環境にもよりますが、カラスや中型哺乳類による機械的伝播を考えれば1~2㎞程度は必要でしょう。

この手法を実施する場合は、既存の物理的障壁などを使いながら並走する道路などに柵を設置して挟まれたエリアに経口ワクチンや捕獲等の対策を集中させるような形が現実的かも知れません。

ただし、柵の設置は適応的な改変が非常に難しい手法です。

例えば感染範囲拡大の阻止という目的では、柵の外側に1例でも感染個体が見つかればそれまで設置した柵は全くの無駄になります

イノシシの間での感染拡大を阻止することを目的として柵を設置する場合は、設置までの期間に感染地域が広がることを想定し、大きすぎるほどのマージンをとって設計することになります。

 

「イノシシの感染範囲の拡大阻止」ではなく「イノシシと豚との隔離」を目指した柵の設置の場合は比較的ローコストです。

感染イノシシが確認された山系の周囲に存在する農場から優先的に、農場の周囲を囲い込むように柵を設置します。

柵を設置するのは周辺にイノシシが生息する山林を持つ農場で、2重3重に張って同様にイノシシの空白地域を作出しても、山を分断するような柵の設置よりは狭い範囲で済みます。

柵を設置した場合は、豚コレラの流行が落ち着くまでの期間メンテナンスが必要になります。

感染が広がった山系で豚コレラが終息するまでにどれほどの期間が必要かは不明ですが、少なくとも10年程度は柵のメンテナンス・補修・イノシシ空白地帯の維持を継続することを覚悟すべきでしょう。

② 経口ワクチン

「感染範囲の拡大阻止」を目的として経口ワクチンを用いる場合、感染のドミノを止めるためにしっかりとした戦略が必要になります。

イノシシを対象とした経口ワクチンについて効果を推測して使用計画を立てたければ、以下のような項目が知りたくなります。

以下の項目は「掛け算で働く」ことになり、結果に大きく影響するからです。

しかし、これらの項目の多くは開始時点・対象エリアにおいて「知ろうとしても正確には分からない情報」です。

到達率 イノシシがエサを感知する範囲
エサに接した際にそれを経口ワクチンごと摂食するイノシシの割合
イノシシ個体群の内部での分配効率
イノシシより先に他の生物がエサを摂食する割合
日本の環境中で経口ワクチンやエサが劣化せずに残存する期間
効果 ウイルスへの適合性、ウイルスの変異へのワクチンの対応力
経口ワクチンを一度摂食したイノシシが十分に免疫される割合
経口ワクチンによって得た免疫が残存する期間
母イノシシから子イノシシへの移行抗体
豚コレラの流行が止まる集団免疫率
イノシシの状態 イノシシの平均的な行動範囲
イノシシの出産時期及び産子数
イノシシの自然死亡率及び移出入の割合
豚コレラに感染した際の死亡率
豚コレラに感染した際に死ぬまでの期間及び行動の変化
イノシシの個体群密度

このため、「ワクチンの設置に並行してモニターと情報収集を継続し、反応を見て効果が不十分であれば強化、改変、別の手法へと転換していく」ような適応的な運用になります。

実施だけでなくモニターにもそれなりの予算が必要で、反応を確認するまでにかなりの期間も要します。

 

まず容易に想像できる失敗が「低密度かつ広範囲にまく」形です。

イノシシにおける豚コレラの感染拡大を防ぐ集団免疫率がどの程度かは不明ですが、イノシシのライフサイクルがかなり短く、環境中のウイルスの残存期間が特に冬季かなり長くなることを考えると、イノシシが高い割合で長期間免疫を持たないと流行が止まらない可能性があります。

例えば1~2年程度の期間、ある範囲の7割~9割の個体が免疫を持たなければ、感染の連鎖が外へ広がる事を十分に阻止できないというような条件も考えられます。

イノシシの中には警戒して経口ワクチン入りのエサを食べない個体もいるでしょうから、その個体を含めて十分な集団免疫率を得るために、これでもかというほど高密度かつ集中的にワクチンを設置しそれを持続しなければなりません。

このため感染範囲を面的に抑え込むのは現実的ではなく、感染範囲を囲い込むベルトのように集中した範囲に経口ワクチンを設置する形が最良です。

ベルトの設計は大きな河川や道路等の環境中の物理的障壁を利用して効果を高める形が理想的です。

ワクチン設置地域はやはり物理的障壁で区切られた山系単位で考えます。

イノシシは基本的に大きく移動する生物ではないため、感染範囲の周囲に集団免疫率の高い個体群を創出し、まずは感染のドミノをそこでせき止めるという方法です。

感染地域内のイノシシは豚コレラに感染すれば死ぬか回復して免疫を持つため、一定の期間抑え込めればワクチンを接種しなくても流行が起こりにくい個体群が残ります。

柵と併用すると高い効果が望めるのですが、柵の設置にも一定の期間が必要であり、経口ワクチンを用いると感染個体と免疫個体の見分けがつきにくくなるため、併用する場合は感染範囲のモニター方法を含めてスケジュールを十分に勘案した上でマージンを大きくとった設計になります。

 

その次に想像できる失敗が「豚コレラ流行地域内にまく」形です。

流行地域内には感染個体とまだ感染していない個体の両方が存在しています。

当然、感染個体にワクチンを接種しても手遅れですので無意味です。

感染地域内に生息するまだ感染していない個体も、その後感染して死ぬか回復して免疫を持つ可能性が高いため、感染地域内に留まるのであれば、ワクチンの有無に関わらず感染拡大に影響を及ぼさない存在になります。

「ウイルスを持ち出す個体を減らしたい」という意図があっても、そもそも感染個体が多くいるわけですから、これらが外に出る可能性がある時点で無意味です。

一度外にウイルスが出ればそちらで勝手に感染個体が増えるからです。

ワクチンの効果が中途半端に作用すれば、地域内の流行の終息を遅らせるような面倒な変化も出かねません。

感受性のあるイノシシの密度が低くなれば流行のスピードが鈍化するからです。

「感染のドミノを止める」という目的に注目することが重要です。

すでに倒れたドミノやすぐに行き止まりに達するドミノを除去しても意味がありません。

経口ワクチンを届けるべき相手は、流行が終息した地域でも流行中の地域でもなく、ウイルス未到達のクリーンな地域のイノシシです。

感染個体の爆発的な増加につながるトリガーの部分です。

流行地域に経口ワクチンを設置すれば、その後のモニターが非常に難しくなる弊害も生じます。

例えば抗体の有無によって経口ワクチンの効果を見る場合、捕獲個体がウイルスに感染した後回復して免疫を持ったのか、ワクチンによって免疫を持ったのか、あるいはウイルスから回復した後にワクチンも摂取したのか、ワクチン摂取後にウイルスに感染したのか、よく分からなくなります。

 

「感染範囲の拡大阻止」から「豚コレラに感染したイノシシと豚との隔離」という目的へ視点を戻すと、よりシンプルな経口ワクチンの使い方が見えてきます。

それは、養豚場の周囲のイノシシに免疫を持たせる、という使い方です。

柵の設置と組み合わせ、養豚場の周囲に経口ワクチンを高密度かつ持続的に設置する方法です。

ワクチンの効果次第ではありますが、結局のところ、この運用方法が「豚へのウイルスの到達を防ぐ」という目的を達成できる可能性が最も高いように思います。

③ 捕獲

最も危険な方法です。

捕獲従事者に十分な技能が無ければウイルスを拡散する可能性が極めて高いからです。

イノシシにおける豚コレラの感染エリアは正確に把握できるものではないため、捕獲にはウイルスと人が接触する場面を作る可能性が常にあります。

捕獲した時点で、そのイノシシがウイルスを持っているかどうかは判別できません。

加えて、極めて空想的で楽観的な認識がなされている分野でもあります。

極めて狭い範囲で実施されたものを除けば、捕獲のみでイノシシの数をコントロールすることに成功した例はこれまで国内にありません。

まず、どのような目的であれ捕獲を計画する場合は「捕獲の専門家に防疫に関する技術を伝える」のではなく「防疫の専門家に捕獲方法を教える」形で実施すべきです。

最悪の失敗は「捕獲できないこと」ではなく「感染エリアを人為的に拡げること」だからです。

感染地域が人為的に拡がれば、捕獲のみならずその他の全ての対策が大幅に修正を迫られます。

本来は感染制御と捕獲の両方が専門である主体によって実施されることが望ましいのですが、現在国内に十分な質と量を持つ組織がありません。

特に狩猟者団体に捕獲を担わせるのは、極めて無責任と言わざるを得ません。

狩猟とは趣味のための捕獲であり、家畜の感染症に関する知識を全く求められていない分野です。

イノシシに全く触れない捕獲方法は存在しません。

十分な知識と経験が無ければ、捕獲者、捕獲時の服装、罠や関連する道具一式、運搬用の車両、誘引用のエサと様々なものにウイルスが付着します。

例えば釣り人に「魚に全く触れず、道具も一切水に濡らさずに、魚を釣ってきてくれ」と頼んだらどうなるでしょうか。

「無理に決まってる」「釣れればいいんだろ」と考え、普段と変わらぬ方法で釣りをして、「大丈夫、ちゃんとやってますよ」と実態と異なる報告をしつつ魚を持ってくる可能性があります。

そこで生じた問題は釣り人の責任でもありますが、依頼者・管理者の責任でもあります。

通常、感染制御のための捕獲は行政職員かそれに準ずるような責任を持つ者が実施しなければなりません。

豚コレラが発生した豚舎の全頭殺処分を専門的知識の無い民間に丸投げしてもよいか?

同じ考え方と答えです。

 

最も危険な失敗は、既に行われていますが「感染が確認された地域での捕獲」です。

経口ワクチンの部分でも述べましたが、感染個体が確認されたエリアのイノシシは放っておいても死ぬか免疫を持つ「行き止まりのドミノ」です。

感染個体が1頭でも見つかればそこはもう危険なエリアと判断すべきであり、捕獲によって知るべき情報も存在しません。

狩猟が盛んな地域のイノシシは警戒心の強い個体が多く、人が捕獲行為に入ればその地域を離れる個体が存在します。

つまり捕獲をすれば、捕獲従事者がウイルスを運ぶリスクに加え、感染地域外に感染イノシシを追い出す効果が発生するリスクもあります。

感染が確認された地域での捕獲は、ただただ人為的拡散のリスクを上げるだけの、損害しか生まない施策なのです。

 

「感染範囲の拡大阻止」を目的とした場合、捕獲すべきは経口ワクチンを使用すべき地域同様、感染地域に隣接する地域(あるいはもう少しマージンをとった先の地域)のイノシシです。

感染地域の隣接地域における捕獲では、ウイルス拡散の可能性を下げるという意味で、追い出し効果(感染地域に隣接する地域のイノシシの個体群密度を低下させる結果)もプラスに働きます。

巻き狩りのような、広く行われている一般的な捕獲手法も場合によっては使用できます。

捕獲個体は全て検査し、もし捕獲個体の中に感染個体が確認された場合はそのエリアも感染地域と見なして、捕獲地域をクリーンな地域のほう(倒れる先のドミノのほう)へ後退させます。

感染個体の捕獲に関わった捕獲者は機材一式を消毒あるいは処分し、一定期間捕獲に関わらないようにします。

各捕獲者が担当する捕獲エリアは単独の山系のみとし、物理的な障壁をまたぐ形で捕獲エリアを複数受け持つことがあってはなりません。

障壁を超えた捕獲者の移動は「養豚場を行き来する」のと同レベルに危険なものであるからです。

当然、捕獲者間での機器や車両の共有も禁忌です。

感染拡大の抑止を考える場合、これが基本的な捕獲方法になります。

もしこれらの基本が守られることが「確認」できないのであれば、捕獲は実施すべきではありません

 

「感染範囲の拡大阻止」から「豚コレラに感染したイノシシと豚との隔離」という目的へと戻ると、捕獲の方法も異なってきます。

最も効率的な方法は、感染イノシシが確認されていない地域における養豚場周囲での予防的なイノシシの捕獲でしょう。

柵の設置と捕獲を連動させて実施すれば、農場周辺のイノシシを効率的に低密度化させることができます。

ただしやはり豚コレラの感染エリアが正確には分からないため、周辺のイノシシにウイルスが入っている可能性がわずかでもある場合は、経口ワクチンの効果が十分であるなら経口ワクチンを選択すべきでしょう。

④ より激しい手法

これは専門家の間でも意見が分かれると思いますが、その他にも激しい手法が選択肢として浮上する時期が来る可能性もあります。

例えば、毒餌の設置は一つの可能性としてあります。

あるいは逆に豚コレラのウイルスをイノシシにまいてしまう方法すら、案としては議論されるかも知れません。

イノシシの間での豚コレラにおける最悪のシナリオは、国内の広い範囲に感染が拡大し、感染地域と感染後に一定期間経って豚コレラの免疫を持たないイノシシの個体数が増加した地域が国内にまばらにでき、そのギャップの間でウイルスが行ったり来たりして流行を繰り返す形で定着することです。

こうなると流行の波が何度も訪れて「豚と感染イノシシとの隔離」が長期化し、豚での発生も止めにくくなります。

現在の日本はイノシシの生育に適した山林が増加しているため、このような状況が過去に比べて生まれやすくなっていると考えられます。

この状況が数十年単位で続くくらいであれば、全国のイノシシに豚コレラを同時に発生させて国内のイノシシ個体群密度を同時に低下させ、ほとんどの地域の個体群が免疫を持っている状態を作り、その後に安定した清浄地域を拡げやすくするほうが得策です。

これは当然、養豚場における防除が万全になった状態での実施が前提となります。

実際にはなかなか選択されないと思いますが、もし全国的に流行が繰り返される最悪の状態になってしまった場合はこういった手法すら議論されるかも知れません。

それほどまでに、大きな損失を覚悟しなければならない、厳しい状況に追い込まれています。

 

 

【結局、何が問題であったか】

ここまでの話を読んで頂いた方の心の中には「じゃあどうするんだ!」という怒りのようなものが湧くかも知れません。

しかしこれが現実です。

今回の豚コレラの事例に関してはっきり言えることは「イノシシ間の感染拡大阻止の観点では既に手遅れである」ということです。

非常に残念ですが、これは認めなければなりません。

残念ながら今回の豚コレラウイルスの株は慢性的な症状を示すタイプのものであり、宿主を急速に減らして落ち着きやすい急性のものに比べて制御・根絶が非常に難しい相手です。

柵、捕獲、経口ワクチン、その他の手法を用いても「イノシシの間での感染拡大を人の手で止める」ことはもはや難しいでしょう。

できたとして、想定される最大の被害額から見ても全く割に合わない規模・コスト・期待値の事業になるという意味です。

イノシシの間での豚コレラは、既にコントロール可能な初期対応の時期を過ぎ、自然環境内の成り行き任せといった段階に来ています。

対応に必要な知識がそろわず、目的の設定が曖昧で、モニタリングが混迷し、対策手法も有効な形では運用されていません。

初期対応や状態悪化への予防策が極めて不十分であった、ということです。

イノシシでの感染が初めて確認された時点のような、ごく初期の段階に適切な形で封じ込めに動いていれば、被害は養豚の分野を含めてかなり小規模で済んだ可能性があります。

これから実施される対策は、言葉を隠さずに言えば、養豚場を個別に守る手法以外は多大な浪費につながるでしょう。

もし今後イノシシの間で豚コレラの流行が終息しても、実施された対策の影響ではなく「勝手に落ち着いた」結果である可能性が非常に高いです。

大きな地理的障害で止まったり、豪雪や酷暑等の天気天候で止まったり(あるいは止まったように見えたり)、といったことがどこかで起こるかも知れません。

しかしこれは、人のインフルエンザが冬に流行って春に落ち着くような、人間側の施策に関係無い勝手な変化です。

 

解決の行方が人の手を離れた今、最も重要なのは、一度深呼吸して何が初期対応を阻害する要因であったのかを考えることです。

(それはこちらで説明しています)

法制度及び管理システムが整備された畜産業界と比較して、野生動物管理の分野は驚くほど仕組みの整備が遅れています。

紙切れのような野生動物管理システムによって、高度に整備された畜産システムが機能しなくなっているのです。

世界には豚コレラ以外にも野生動物を介して甚大な被害を発生させ得る感染症が存在しており、日本は常にリスクにさらされています。

では今後、新しい問題が見つかった初期段階でこの国は適切な対応ができるでしょうか?

新しい問題をしっかり想定し、十分な予防策を打っているのでしょうか?

豚コレラで見つかったのは野生動物の問題ではなく、「野生動物管理システムの問題」なのです。